ドランの余韻に浸る

先週のこと。

もうじき長野で公開が終わってしまうと駆け込んで観た、映画「Mommy」。
チケットのもぎりをしていた支配人に
「やっぱりなぁ、くぼたさんの好きそうな映画だと思っていたんだ」
といわれる。なんだか照れる。

正方形のスクリーンサイズからはじまる物語。
登場人物は、障害を持った息子スティーブと母ダイアン。たまたま家が目の前だった教員を休職中の女カイラの3人。
身体的に、精神的に闇を持った3人の心のリズムが、プラスにも、マイナスにも躍動しつづける。途中で彼らの人生がプラスに転じた時だけフルスクリーンになるという仕掛けは、まるで舞台のよう。

愛したい、でも愛せない
助けたい、でも救えない
離れたい、でも動けない

不器用な形でしか表現できない3人の気持ちは、最終的に諸刃の剣となってそれぞれを傷つけ合い、そしてまた、みんな、ひとりぼっちになる。
絶望し、隠れて嗚咽するダイアンと、収容所から脱走したスティーブの走り出す姿で終わるラストは、本当は一緒に生きたいんだ!という気持ちがほとばしっていた。

泣きたいのをこらえていたら、エンドロールで流れたLana del Rayの「born to die」のフレーズで打ちのめされた。

“わたしたちは死に向かって生きていく”

なんてことを歌っているんだよ〜と思いながらも、ドラン監督の凄さの余韻に浸る。

「みんなしあわせにくらしましたとさ」とは終わらせない。
生きること、
愛すること、
文字にするとなんだか陳腐だけれど、そこにきちんと焦点をあててメッセージを余韻で残してくれた。

そういえば、「Mommy」を観た後に思い出したのが、巨匠アッバス・キアロスタミ監督のイラン映画「桜桃の味」だった。
自殺願望のある青年が、自殺を手伝ってくれる人を探し歩くだけの映画なんだけど(だけと言ったら失礼かな)、彼が死にたいと街を彷徨い続ける間、カメラは青年の目の視線になっていて、ずっと下の方しか向いていない。
それが、ようやく死ねるタイミングが来て仰向けになった時にカメラが空を写す。その時に初めて彼は気がつく。星空が美しい、と。その後スクリーンは暗くなって終わるというラストは、「Mommy」と対照的にとても静かだけれど、“余韻”の部分で通じるものを感じた。

2作品とも、とても、とても、好きな映画です。